いくつかの凄いブログの紹介!

tzetzeさんのブログをちょこっと探って見たら、次々と凄いブログを発見しました!以下でいくつかを紹介します。同じところには沢山の良いブログが見つかると思います。とても知的な内容の文章と、あらゆる社会問題について議論しています。特に死刑廃止不法滞在者の議論、・・・は気に入ってます。結構面白いと思いますのでアクセスして見て下さい!これらの方を集めたら自公政権・法無省なんかを簡単に蹴っ飛ばせると思います。
http://hizjihizji.blog85.fc2.com/blog-entry-53.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-532.html
http://prosperity2.blog37.fc2.com/blog-entry-28.html
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-542.html
参考文:
私の死刑考より

私は5年程前に、とある講演を聞いてから、長い間死刑について考えて来ました。それらをノートに書いていたので、そこから拾って死刑の問題点について書きたいと思います。

○えん罪の可能性
 本人は否認をしたまま死刑確定され、執行されてから真犯人がわかったケースや、本人は再審(刑が確定した後でも再び裁判を請求できる制度)を請求しても棄却されることが多く、実際に行われるのは稀である。

40年以上待っているケースもあるが、その間執行が停止されるわけではなく、死刑執行は執行される当日の朝に知らされることになっているため、毎日その不安に晒されなければならない。

(戦後、再審で9人の死刑確定者が無罪判決を受けている。現在も多くの死刑確定者が無実を主張して再審請求している)

○国家に人を殺める権限があるのか
 ある一人の人間が人を殺してはならなくて、なぜ国家が殺して良いのかという疑問。

○執行される側の人権
 人間には生存権を含む基本的人権があり、国連でも、人間である以上無条件に保持しているもので、誰も与えたり奪ったりすることができない、との定義になっている。また、立場、状況等により考慮されないものであり、そうであれば、いかなる加害者も生存権を脅かされることがあってはならない。

○執行人の人権
 執行人は、本人が手を下したということがわからないようになってはいるが、苦悩し、精神を病んでしまう者がとても多い。

○死刑制度があることで、被害者遺族の救済がおざなりになっている

 遺族が抱える最も深刻なものは「孤独」であり、日本には救済システムがないために死刑のみが拠り所になってしまいがちである。

死刑を強烈に望む家族と温度差のある周囲との間に隔たりが出来てしまい、より孤独へ陥り、加害者への憎悪が増幅されるという悪循環にはまってしまう。

本当の救済に必要なのは復讐ではなく、補償と心のケアである。
 
○死刑を望み、判決が出る際「被害者感情を考慮して」という言葉がよく聞かれるが、死刑執行を経た被害者遺族が時間経過とともに心の傷が癒えることで、執行された加害者を殺めてしまったという罪悪感が生まれ、苦しむことがある。

○逆に、最初から被害者遺族が死刑に反対していた場合も執行されてしまう。

○加害者家族の存在
 加害者の家族は、国家により家族が殺害されるという立場になり、加害の連鎖が起こる。

教誨師の苦悩
 教誨師 (宗教的・倫理的な立場から改心、更正を促し、精神的なケアを行う神父や住職やシスターなど) も長年にわたって家族的な関わりをしており、執行されることで遺族のような心理状態にさらされる。

○厳罰化と防犯率は比例しない
 EUでは死刑廃止後の犯罪率の上昇が危惧されていたが、死刑執行に掛かる予算を防犯へ回したこともあり、犯罪率は低下している。(今では、EUに加盟するには死刑廃止が条件の一つになっています)

○刑罰とは、教育・更正のためにあり、復讐法ではない。

○罰の不公平
 日本では、2〜3人が相場と言われているそうで、3人殺害すれば死刑が確定という意味ですが、3人殺害した人と、たとえば368人殺害した人が同じ死刑を受けるという、罰の公平性の問題。

○更正の可能性がある。

○刑罰を死刑とすることで、犯罪の背景などが解明されない事が多く、社会の進歩になっていない。

○実際犯罪とは当事者だけの問題ではなく、社会全体で考えなくてはならない要素が大いに含まれており、正義とは死刑を望むことでなく、回心、更正を促し、それと同時に社会環境を是正することと考える。

当人だけの問題にし、死刑によって社会の悪が排除出来た、と考えるのは間違い。

○残忍性
 日本の死刑の目的は「苦しんで死ぬ」等、単純に「死」に至らせる為だけではないため、処刑当日は精神科医によって正常かどうか確認された上で行われる。その点からも残忍性を伺い知ることが出来る。(恐怖のあまり、精神に異常をきたす者が多い)

○反省する機会の喪失
 死刑囚は死刑に対する恐怖が日常を占めるため、被害者のことを考えたり、道徳的反省に至ることは稀である。

○犯罪の際の抑止にならない
 殺害する際に死刑になることを考えた者はほとんどなく、刑罰としての死刑の存在が犯罪の抑止になっていない。

○人が人を裁くことの限界
 裁判官の能力や価値観から見破れずに誤審が発生することは不可避であり、えん罪は1万人に1人でも1億人に1人でもあってはならない。

○個人的に、ありとあらゆる暴力に反対の立場。

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凄いのではないでしょうか?大気に!