世俗主義社会と性に対する偏見(タブー)!

 先週、イランの南部シーラーズで新たに一人の女性に対して石打刑の判決が出されました。数ヶ月前にも、9名(女性8名)の石打刑の執行のニュースがありましたが、国際的な反発を受けました。その影響で司法関係者はこの9名の石打刑の判決取り消すを伝えると共に、今後は同じ判決を出さない、と言う発言をした。しかし、わずか数ヶ月でその発言を否定する別例が出て来ました。今回、石打ち刑判決を受けている人間は30代の女性です。この判決は法務大臣の容認を得た場合に執行されます。国内外からの批判は強く、追い詰められている宗教政権は人間の血を飲む意向を諦めていない事をアピールしています。事実、先週にもわずか5日間で15名の処刑のニュースが流れました。このようなやり方は明らかに国際社会と人道に対する敵対です。石打ち刑の理由はやはり婚外の性関係であります。
 女性差別、人権侵害を得意とするイスラム教は今後も野蛮と言うべき石打ち刑の判決を出して、執行しようとするだろう。絶対にゆるしてはいけません!

ソマリアでの13歳女子の石打刑事件と2チャネルでの女叩きのコメントについて!
 この事件について以前、<それでも多文化共生を美化するのでしょうか>、と言うタイトルで文章を書きました(村野瀬玲奈さんのブログで指摘してくれていますhttp://muranoserena.blog91.fc2.com/?mode=m&no=998)。この事件は2チャンネルで報道されいたため、女叩きの内容のコメントも殺到していたようでしたが。こんな書き込みには沢山の問題が生じている以上に、様々な面からの解説は必要だと想います。特に石打刑の異常性、非道性をもっと理解して貰うの事は最大の目的としています。より根本的な意見、議論を歓迎いたします!
 問題の焦点は日本、欧米とイスラム政権もとに置かれている地域での男女差別問題をどのように考えるべきなのかにあります。日本と欧米での女性の社会的位置はそれなりに違っているところもありますが、両方の状況はイスラム政権もとの女性状況とは決して比べものにならないほど酷いものです。先ずこの違いをきちんと区別して考えるべきだと思います。
 とは言え、基本的には性に対する偏見と社会的タブー化の原因はどこでも同じく宗教的教えの影響にあると私は考えています。このような女性差別、性に対する偏見は大昔からある事は確かです。と言って、そんな宗教を信じていた天皇制時代の崩壊と今の時代はそんなに離れている訳ではありません。また、女性の社会的権利獲得(その程度の話を別とします)の方の歴史もまだ浅いのです(1960〜70年代)。これは決して良い話ではありませんし、女性の社会的位置向上の遅れの原因の正当性の言い訳けにしてはいけません。また、おそらくこれは多数の間にこのような考えもあります。<今の支配権と宗教の関係は以前とは違っている、とか、宗教的な教育は学校からなくなっている>、などです。一応の事として、上記の意見に賛成しましょう。でもそれを認めた場合でも、現状を参照すれば、政教分離の進行と、社会は宗教の影響から吹っ切れているって事は言い切れません。さらに、近年の政治状況の右翼化を観る限り、以前より(20ほど年前)宗教の影響はより強まっている事は言えます。近年の悪化について例を挙げようとしたらやはり今回2チャンネルで堂々と意見を書き込んでいる人々(様々な年齢)事は最も透明化している例と言えます。これは合計的に社会情勢から受けた影響の証です。宗教・古い考え方の影響は無くなったり減少しているなら何故一般人の間にこれほど残り得るのでしょうか。彼らのこんな考え方の原因はいったいどこに隠されているのでしょうか。以下で一つの例を挙げて説明しようと思います。
 先ずは最も象徴的な例として、女子大学(キリスト教系)の存在を挙げられます。例えこれらの大学に入学する事は自由だとしましょう。つまり、そこに入学する時に本人の自由な意思を条件としています。でさて、問題は本当にその学生の意思の選択は自由だったかどうかです。この問題を次のように説明します。
 キリスト教キリスト教は一つの例です。公明党創価学会の影響とかお寺や神社の存在なども取り上げられます)である両親の間に生まれる子供は自動的にキリスト教となって、知識が付くまで家庭内でそのような教育を受けてしまいます。当然ながら生まれて来たばかりの子供には大人の考え方の区別は出来ません。そのように考えた場合は、両親は一方的に自分たちの思想を押し付けた事と、子供には自由な選択権を与えていない事になってしまいます。<自分の子供だからどのように育とうと勝手ではないか>、って言われたらそこまでですが、決して許してはいけないと思います。
 一応、私ともは宗教に限らず、思想と内心の自由を認めています。そう考えているからこそ生まれて来たばかりの子供には親から一方的に思想を強制してはいけないと信じています。つまり基本としては、子供の成長と選択権の自由を考えて、17歳になるまでは何の思想も教えたり、押し付けたりしてはいけないのです。こんな基本的な教育は社会の仕組み、常識になってからはじめて、政教分離と思想と内心の自由は実現されたや、宗教と古い考え方の減少は可能になったと言えます。
 他の例の特定と詳細の指摘は沢山あると思いますが、寄せて頂く方を歓迎します。個人的には、家庭内での子供たちへの宗教的な教育に対して、多いに例を挙げる事は出来ます。特にイラン国内での例とか、近年では欧米でも社会的問題になっている例です。この問題は多くの子供たち(男女共に)の人権を侵害している以上は非常に重要な問題だと認識しています。
 政治に加入していなくても宗教の社会的影響は未だ大きいのです。その影響の結果として男女差別と性に対する偏見とタブー化が生じています。問題の原因は大昔から生き続いて来たとしても、それを無く姿勢を見せず、男中心の社会を維持(再生)し続ける現支配権の責任は誰第一にあります。
 政教分離化は進んでいるとされている国々でも未だ男女差別は問題ですが、もっと深刻なのは未だ宗教政権を継続させようとするイスラム政権と、そのため生じている深刻な男女差別、子供の人権侵害の問題です。イラン、アフガニスタンイラクサウジアラビア、アフリカなどへ目を向ければその状況の酷さに対して胸を痛めずにはいられません。これらの国で宗教の信教は強制的であり、逆らう事は死を意味します。そんな抑圧的な事実に関しては人道機関の(わずかながら)のデーターを参考出来ます。イスラム政権のもとを離れようと、多くの人々は亡命していますが、その亡命先でも彼らを方って置かないのはイスラム政治運動をする組織です(欧米の学校内での子供たちへのスカーフ着用の要求とか、イスラム的法律案提出の問題など)。それらの組織の殆どはイスラム政権から資金援助を受けています。このような大資金注入の原因は、イスラム組織とその支配権が自分たちの非道の暴露を恐れている事です。また、欧米政権妥協的な姿勢に関して言えるのはやはり、イスラム政権との石油や貿易関係を優先に考えている事です。しかし、多いなる女性、子供、労働者の解放のためにもこれら反動な傾向を絶対に許してはいけません。
 過去の場合と違って、21世紀の世俗主義運動の中心は社会主義運動と労働者です。男女差別、子供の人権問題の解決、労働者の社会的権利の実現はマルクス社会主義運動の任務であり、密着した運動であります!