ファルザードさんの刑務所からの手紙

           
自由の名において
 エビン刑務所、政治犯特定の209ブロックにて
先に共産主義者を逮捕しにやって来ました
私は何も言わなかった
共産主義者ではなかったからです
次に労働者と組合員を逮捕しにやって来ました
私は何も言わなかった
組合員ではなかったからです
そしてカトリックの人たちを逮捕しにやって来ました
私はまだ何も言わなかった
プロテスタントだったからです
今度は私自身を逮捕しにやって来ました
もう誰も話す人は残って居ませんでした
  
 目隠しの横から<エビン刑務所>の看板を見た時に、昔から最近までこの刑務所について知っていた事と読んでいた事すべては頭の中で読み返って来ました。突然、<はなずおうの血>(イラン詩人のある詩のタイトル)が頭に浮かんだ。あの詩を覚えておけば良かったなと思いました。209ブロックの独房の廊下を通っている時に何か不思議で知っているような匂いがして来ました。自分にはこう言い聞かせました。これは刑務所の匂いと独裁と抑圧の匂いだと。目隠しは209ブロックを出るまでに囚人の体の一部のようです。昔はこの目隠しを王様たちが、人間にとって最も重要とされている目を取り抜くため囚人に被せていました。今は周りを見えないための使い方をしていますが。でも、知りたいとか見たい時にはどんなに高い壁を作ったって無駄だよって事を連中に解っていないようです。209ブロックは独房の意味ですが、この独房は国の法律の中で最も無名で曖昧な意味を持っている言葉です。でも本当は、独房の意味は侮辱と軽蔑と長時間の尋問と何の知らせのない空間と孤立と完全な空白状態と、どんな手を使っても囚人をぶっ潰す事の意味です。独房は白い拷問の意味と、終わりのない夜と緊張感の意味です。人は白い拷問を受けた後に夜と昼の意味をなくしてしまいます。とにかくどんな小さな情報も貴方へ届けないようにするのです。貴方にとって情報とニュースは、一階にある緑色の尋問部屋の中で起きている事と耳に響いてる声の事のみです。連中は貴方を潰す事しか考えていないのだが。そして、独房に戻ると、自分は潰されそうだ、と感じるのだ。尋問者の声と甘い甘い言葉を次々と頭に浮かべて考えに考えるのです。しかし、明日とその次の次の日にも緑色の部屋に行くのです。部屋はだんだんと手術部屋へ姿を変えて見えるのです。貴方の脳の中身の全てを手術してその代わりに尋問者の話でいっぱいにしようと思っているのです。そして、自分は今までどんなに悪い人間だたのかを思わせたいのです!毎日の尋問の後に独房へ戻って見ると全ての物が散らばっているのです。歯ブラシと石けんとシャンプと腐った黒い毛布と古いカーペットと使い捨てのコップまでです。何を探しているのだろうか。もしかして、笑い声とか、希望と楽しみとか、思い出を隠しているかどうかを探しているのだろうか。きっとそうです。そして毎晩、貴方は、お月様を見る希望を胸にじっと壁を見つめている時に、番人の怪しげな影がドアの小さな窓から中へ入って来るのを感じ取るのです。甘い夢に入っているのかと、こんな暗闇に、夢の中でも母親が来て我子の傷の痛みを和らげるため子守歌を歌ったり眠らせようとしているかどうかを確認しているそうです。
 壁には前のお客さんからの落書きが残っています。アゼリ人とクルド人とアラブ人とバルーチ人とか、労働者と教師と学生から人道活動家と記者などはここに来ているようです。どうやら、209ロックでは正義が皆に平等に分配されているのです。ここは、民族と性別と考え方の違いと社会階級は関係なく皆を受け入れているようです。
 独房のブロックから雑居部屋のブロックまでは20〜20メートルしか距離がないのです。でも、人によってはこの距離を何年間でかけて通って行くのか何ヶ月間で通るのかの違いがあります。雑居ブロックの意味は自分に似たような人間と逢う事と話す事です。聴くべき人たちの声を聴ける意味です。雑居ブロックの意味は一杯の暖かい紅茶を飲める意味と、好きな時にシャワーを浴びれる事です。ヒゲを剃れる事と髪を切る意味でそして、人によってですが、ガラス壁の向こうで心配そうな家族の目を見れる事です。私にとっては何ヶ月間ぶりに外の空気を吸える意味かな。そう、何ヶ月ぶりにやっと外の空気を吸えるように成った!毎週三回で、毎回二十分も出来るのです。空気を吸える所は小さな部屋のようで、回るは高い壁で塞がっていて、屋根のところは鉄の網が架かっています。いつも空と太陽をザグロス山脈の下から愛しく見ていた私にとってはまるで空を刑務所に閉じ込めているようだったが。時には太陽は我々を盗み見としていました。どうやら太陽も、<国の安全の壁>には余り近付いてはいけないって事を知っているそうです。頭の上には監視カメラがあり、皆をチェックするようにいつも回っています。多分、お日様と目を逢わしたりウィンクを交わしたりを知られたら、<国外との接触>として罰せられるのだろう。あるいは、通り風に挨拶して、皆は元気だよ、と言ったら、<世論に訴えて反乱を起こそうとしているんだ>、と捉えられるのだろう。
 やはりここの壁も落書きでいっぱいです。勿論いつもペンキを使ってそれらを消そうとしますが、効果はなしです。かなり格好悪い壁に成っていますが、例えどんなに綺麗な壁であろうとも、刑務所の壁なら潰すべきだと思ってます。このブロックの壁は本来果たすべき役割と囚人らを離して置く事をきちんとやってないようです。その罰としてなのか、いつも黒いペンキを受けてしまうのです。壁はまるで皆の郵便局としてとか、仲間をつくるために使われていました。ここには多くの囚人の名前が削られていました。1999年の立ち上がりから...いえいえ、もっと前の学生記念日の時から来た学生の名前もありました。ここの独房は彼らの特定の場所になっているのです。しかし壁には勇姿にも、学生は命を落としても侮辱を耐えないよ、と書いてありました。その言葉の下にはその学生の大学の名前も記されていました。また、ある若者は自分の所属しているNGOの印を綺麗に書いていました。それが何回かと消されても彼はまだ書き直していたのです。彼にはNGOの情報を求める人は何人かが居ました。ある時、この壁を黒い石で隠す前に私も壁に、こんにちは、って書きました。誰も返事しないだろうと思ったが。次の日に、こんにちは、貴方は?って返事がありました。そしていつの間にか沢山の人との付き合いが始まりました。学生とか、後にして私の英語の先生になった外国人までと壁友達に成っていました。ある時、新しく入って来る人はあまりも多くて、独房まではいっぱいとなっていたため囚人らを一緒にしざれを得ませんでした。この時を引っ掛けに私は壁友達と会う事が出来ました。まるで長い間の知人のように我々は抱き合いました。その後、ある人は料理人に成ったりある人は床屋さんに成っていました。そして毎晩のように朝まで我々は社会的な問題について話をしていました。皆の感じている事は同じのようだったが、それでも話は朝まで続いていたのです。最後に、いつも決まっていて朝が来たを我々に知らせていたのはやはり、長年間ここに居るバルーチ人のセイエド.アッユウブさんの泣き声でした。彼はいつまで訴えても誰からも助けて貰う事はなくて、やむ得ず自分の悩みを手紙にしていつも例の壁のところに置いていました。彼の泣き声と同時に我々の議論も止まり、重く静かな空気が間を通るように成っていました。また時々だが、隣の廊下から女性のサンダルの音は我々を静かにさせる事もありました。皆は一気にしてドアの突き間のところとは乾燥機の方へ飛び込んでいてサンダルの音が聞こえる方を追って居ました。女性の背が高く、目隠しをされたままで尋問部屋の方へ連れて行かれていました。そして被っていたベールには正義のあの計りの絵がいっぱいありました。しかし、女性が歩くとそれらの計りの全ての平らなバランスが崩れて見えていました。彼女のサンダルの音は我々にこのように歌いかけていたようです。やはり、そのサンダルの音なしでは生きていけられないなと。
 私たちの尋問部屋はバス運転手組合とか教師らの尋問部屋と同じでした。この部屋にあったテーブルは学生が落書きをしたテーブルその物でそして、私が使っているベッドは若いバルーチ人のオムランが死刑される前に、愛しい砂漠に行きたい、と自分の思いを書き残したベッドと同じです。目隠しもまた、<百万人署名集めのキャンペーン>(密かなな叫び)のメンバーが目に被ったものと一緒でした。それでは我々はお互い見知らぬの人ではありませんし、決してお互いを忘れたりする事も出来ません。我々は何らかの形でお互いを知っています。
 ここに閉じ込められている人々は貴方と同じ人間です。本当に考えた方はありますでしょうか。ここは明日は貴方の所かも知れませんと...
 死刑判決を受けている教師と人権活動家のファルザード.キャマンギャル
 キャラジ市のラジャーイ刑務所、伝染病ブロック
       08年5月31日